「絶望」の意味と効用

[書評]若者は本当にお金がないのか?統計データが語る意外な真実(久我尚子)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/12/post-c1e8.html

この書評を読む限り、この本の著者は肝心なことを書いていないように思われる。
それは、「幸福感というのは現在の絶対値ではなく、将来の期待値に左右される」ということだ。
たしかに、この国の現在の若者は過去の若者と比べてより豊かな生活をしているのは事実である。
しかし、将来の世代間の人口比率や年金制度の変容、そして自らの老後の生活を予想したとき、そこで生み出される絶望感は過去の若者の比ではない。
だから現在の若者の不幸を語るときには「絶望」という言葉がよく使われるのだ。




京都大学の有名研究所のひとつである霊長類研究所の松沢教授は、病苦に侵されたチンパンジーと関わるなかで、
チンパンジーは絶望しないのではないか」ということを感じたと述べている。
http://www.videonews.com/marugeki-talk/595/
人間と異なり自己の将来を客観的に把握する能力に乏しいと思われるチンパンジーは、
それゆえに将来を悲観することなく「今」をそのまま享受することができるということである。
最近「マイルドヤンキー」という言葉がマスコミを賑わすようになったが、あえて差別的な物言いをさせてもらえば、
マイルドヤンキーと名指しされる人たちは、このチンパンジーと同様に「今」を生きているから幸せに見えるのだ。




こう考えていくと、「絶望するのは単なる無駄ではないか」と言いたくもなるが、
そもそも人間が自己の将来を想像するのは
その将来においてできる限り不利益を被らないように現在の地点から対処するためであって、
この意味で現在の若者が絶望を訴えるのはまことに正しいし、
「現在の若者は過去の若者より恵まれているじゃないか、それを幸福に思え」と老人たちが反論するのは本質を見誤っているのだ。




もちろん、「将来への対処」がもはや不可能であって、運命を粛々と受け入れるしかないのであれば、絶望するだけ無駄ではあるが。