「ぼくは勉強ができない」イデオロギー

小島慶子「勉強しないとああなるわよ」は最低だ
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO80101750V21C14A1000000/

正論といえば正論だけど、「今さらそれ言うの?」って感じ。
この人日本で暮らしてない(Wikipedia情報)から世情に疎いのかもしれないけど、
今の日本で起きていることはむしろ「勉強しかしないとああなるわよ」だろう。
小島氏の主張は山田詠美が20年も前に著した「ぼくは勉強ができない」のそれと同じであり、
その当時は「勉強できなくてもコミュ力(容姿やコネ含む)があればいい」という価値観は新鮮なものだったろうが、
今になってみればその価値観は「行き過ぎて」しまったのではないか?
今年世間を騒がせた事件を振り返ってみても、コミュ力だけ長けていて基礎学力が欠けた人間が起こした悲劇がいくつも思い当たる。
(パフォーマンスで名声を勝ち得たエア作曲家とか、リケジョとして大々的に売り出されたエア科学者とか、現職の内閣総理大臣とか)
逆に、いくら勉強をがんばってもコミュ力がなければ、アカポスの狭き門には通れないし、就活もうまくいかないし、家庭ももてない。
「勉強しかしないとああなるわよ」は、今や支配的なイデオロギーであり、
漫画、ドラマ、アニメ、ラノベ等、思春期の子どもたちが触れるあらゆる創作物は、このイデオロギーをメッセージとして刷り込んでいる。
ガリ勉が主人公の敵役に設定され、無様な失態を晒すのは、とてもありがちなシナリオである)
以前は博学が尊敬を集める場であったクイズ番組さえ、すっかりおバカタレントの独擅場となった。
こうした世の中で、もはや誰が勉強をがんばろうと思ってくれるのだろうか?
反知性主義が蔓延するのもむべなるかな。


追記:宇治原氏が重用されるのは彼が高いコミュ力を持ち合わせているから








ハラスメントはどこから生まれるか?「悪意」やなくて、「遠慮」や「馴れ合い」からやで。








性的消費関連の記事って、ちょっとでも反論すると
「お前のその反論こそがお前の加害性そのものを示している。男として生まれた罪を恥じ入れ」みたいなことを言われて泥沼なので、
結局大半の男は理解するでもなく沈黙するか開き直り、問題は棚上げされて何も解決に向かわないことになる。









インターネットはロングテールって言われてきたけど、ロングテールなのは商品の総体≒システムであって人間ではない。
だからいま流行りのYouTuberなんかも一握りの勝者が成功を独占している。
YouTube運営にとっては人間は商品なのでロングテールである。
ほとんどのYouTuberたちはシステムに喰われるためだけに存在する養分でしかない。
マトリックスの人間電池のほうがいくらかマシだろう。