自分は学生のころから「東大の理科一類にはアファーマティブアクションが必要だ」と考えてたんだけど、
これって当の日本の女性たちからしたら「どうでもいいこと」らしい。
そしてその事実こそが、今の日本社会の男女差別の核心的な部分だと思う。




プラセボ効果には、「どうせプラセボだから」と自覚すると効き目が薄くなるという性質がある。
教育や啓蒙が人間の幸福につながるとは限らないというひとつの例である。